海神の唄 -[R]emember me-

バタフライ・エフェクト―マダミヌソラ―― Re:Ⅲ

 四日目――午前八時

 激しい体温の低下を感じながら目を覚ました。
 昨夜の自問自答に疲れた僕は、家の中に戻りそのまま就寝した。大陸から吹き続ける乾燥した北風と、寒気が入り乱れるこの時期の朝は正直起きるのが辛い。布団から抜け出せなくなるのはきっと僕だけじゃない。誰も同じ状況だろう。
 近くにあったテレビのリモコンに手を伸ばして、テレビのボリュームを下げようと操作をしていた。きっとコレは無意識の行為だ。中々下がらないボリュームに苛立ちながらテレビを見ると真っ暗な状態だった。
 そうだ、昨夜の高高度電子パルスHEMP攻撃で家電が全てやられていたんだった。テレビ何てついていないのに何をやっているんだ僕は。

 ――ならこの騒々しさは何だ。

 そこでハッとした。
 慌てて窓際のカーテンを開けると人々が逃げ惑う姿が目に飛び込んで来た。

「四日目――」

 何を寝ぼけていたんだ僕は、目の前で起きている事に記憶の中の一週間を照らし合わせて、今何が起きているのかを再度確認する。

「戦争が、始まったんだ」

 一歩後退りしていた。
 額には冷や汗が流れ、動悸が止まらない。耳元で鳴り響く鼓動の音が煩くて思わず耳を塞ぎそうになる。そう、狂気の始まりだ。

「早すぎる、結果が収束するのは何も事象の事柄だけじゃないのか。いや、そもそも既に僕の知ってる一週間とは全くの別物に――」

 慌てて近くにあったバックパックを担いで外へと出る。着の身着のままの人もいれば、朝食の支度の準備をしていたであろう主婦の姿。担がれた老人に、泣きながら両親を探す子供の姿まで。この地域の住人が一斉にパニックを起こして走って行く姿が目に飛び込んでくる。

「――知らない、コレは僕の知っている物じゃない」

 軽いパニック状態に陥る。世界は決して収束しているわけでは無かった。
 収束しているように見えて、何もかもが違って起こる事象だ。体験した一週間の中にこんな記憶はない、世界は確実に新しい未来へと向かっている、これはそう言うことなんだ。バタフライ・エフェクトで発生した小さな揺らぎが大きくなって、今僕に、いや、世界に襲い掛かってきているんだ。世界は収束はしていない。量子ビット未来保存の法則アンチ・バタフライ・エフェクトは発生していない。
 コレが証拠だ、コレが真実だ。コレが現実なんだ。

「なら、助かる方法だってあるはずじゃないか」

 握りしめたこぶしに力が入る、世界は僕が想像していたより絶望なんかしていない。奇跡が起きる可能性が示唆されているんだ。この状況で生き残ることが可能かもしれない。
 例え、それがディストピアへまっすぐ進む道のりだとしても、あの一週間に比べればどうとでもなるかもしれない。生きていれば何とだってなるかもしれない。

 だからこそ、この違和感は何だ。

 だったら、何故こんなにも世界にノイズが走っているんだ。
 何故こんなにも世界がブレて見えてるんだ。

 この世界を僕は知らない、僕はこの世界を見たことが無い。なのに何故世界はこんなにもブレているんだ。あまりの気持ち悪さに思わず口元を抑えた。胃から這い上がる酸が喉を焼き、強烈な苦みを残して口からあふれ出す。
 眩暈にも等しいブレという名の残像、耳障りなノイズ、何重にも重なって見える世界が、この惨状が僕自身に警鐘を鳴らしている。
 精神が壊れそうになるのが分かる、音を立てて常識が崩れていくのが聞こえ、錯乱状態に陥るのにそう時間はかからなかった。

「孝雄!」

 ノイズに混じって、聞きなれた声が耳元に届いた。同時に全てのズレとノイズが収まり僕は正気へと引っ張られた。

「何してるの、早く逃げなきゃ!」
「逃げるって言ったって――」
「いいから早く!」

 幸いにも僕が狂気に落ちる寸前で手を伸ばしてくれたのは、七海だった。
 悲壮感に震えたその瞳が僕を救ってくれた。無意識のうちに七海の手を掴み僕は走り出していた、皆がどこへ向かっているのか分からない、このまままっすぐ行けば海公園へと繋がる坂道が見えてくる。

「何処へ向かってるの七海?」
「高台よ、今走ってる人はみんな海公園に向かってるの!」
「何で?」
「何でって――津波が来るからに決まってるでしょ!」

 津波? 何を言ってるんだ。
 地震が起きた気はしなかった、仮に津波が発生するほどの地震なら確実に起きているだろう。だがその気配は全くなかった、では何故。

「っ!」

 息を切らしながら全力疾走していた体に限界が訪れる、七海に引っ張られ走ってきたは良いものの、体力の限界だ。掴んでいた手を放して両膝に置き、息を切らす。気が付いた七海が僕の背中を押しながら走ろうとする。

 それがいけなかった・・・・・・・・・

 一瞬だけ振り返って、七海越しにソレ・・を見たんだ。

「なんだよ――何でこんなっ!」

 ヒビ割れた空が、ゆっくりと落下しているのが分かった。目に見えて分かる巨大な大気、太平洋に向かってゆっくりと落ちていくのが目視できる。
 僕は――いや、僕達は一体何を目撃しているのだろう。
 空が落ちてくる? そんなバカな話があってたまるか、だが現実はその辺の三流小説なんかよりよっぽど質が悪く、耳元に届く鼓動の音が現実だと無理やり認識させてくる。
 透明で、形も無い。だがハッキリと目に映るその巨大な揺らぎ。成層圏ストラトスフィアから何処までが連なっているんだ、中間圏メソスフィア、いや、外気圏エクソスフィア迄の質量が仮に一つの――塊として落ちてきているのだとしたら、それは巨大な隕石が落下してくる以上の巨大な破壊行動カタストロフィになる。
 高台に上ったところで、津波から逃れられるわけがない、推定ジュールは計り知れない。高さ六七キロメートルの自由落下フリーフォール、地殻を貫き岩石圏リソスフィアにまで到達する可能性もある。その際に発生する巨大なクレーターは地殻津波を発生させ、津波どころの話ではない。岩盤がめくりあがるんだ。

「駄目だ……ソレは駄目だ!」