三日目――同日二十時
曽根の言う事は正しかった。
電気は無く、この時間、車やバイクの音が聞こえる住宅街。この静寂はテレビもラジオの音もない。本当の静寂。聞こえてくるのは僕の息遣いと鼓動だけ。
これ程までに静かなのは生まれてこの方初めてだ、体験した一週間でもこれ程の静寂は体験したことは無かった。故に怖かった。
明かりは蝋燭一本だけ、足元まで光は届かず一メートル先も見えない。二階に上る事も困難で、明るいうちにリビングに必要なものを運び込んでいた。
布団から暖を取れる物、外には燃やせるものを一通り用意しいつでも火をつけられる状態にしている。外は氷点下近くまで下がっているだろう。
あまりの寒さに重ね着して外に出る、着火剤を手に段ボールや雑誌、壊したベッドの木材に火をつけて暖を取ろうとする。鰍んだ手は震える一方で上手く火をつけることが出来ない。やっと付いた火がどれだけ心の拠り所になるか、何千年も昔の人はこの明かりに希望を見たと言われて納得した。
静かに燃える炎をじっと見つめてこれまでの事を考えた。
何が真実で、何が偽りなのか。
はたまた、本当に僕が狂ってしまったのか。
時折見せるノイズや、ブレる世界。そしてこの流れで始まった早すぎる崩壊が、一体何を意味しているのか。考えれば考える程分からなくなる。
結局のところ、この現象は一体何なのだろう。と、何度目かの自問自答を繰り返すのが癖になっていた。考えた所で何も分からないのに――。
不可解な点はいくつもあった。
そもそもの話だ、何故実際に起こったことが無かった事にされて、一週間をやり直しているのか。この不可解な超常現象は一体なんだ。
見上げる星空には所々霞んだヒビが入っている、時折音を立ててヒビが広がっているのが分かる。決して観測している側からの抽象表現ではない。
考えれば考える程分からなくなる、この世界で一体何が起きているのか、何が始まろうとしているのか。いや、既にもう始まっていて、実は終わりに向かって走っているのじゃないか。
そんな哲学的な事を考え始めていた。
「論理的思考の破綻が及ぼす、精神への異常――」
そこで思考が停止した。
一瞬だけ世界にノイズが走り、それが何を意味するのかを考える事をやめた。考えた所で何も答えは出てこない、現状の情報だけでは圧倒的にパーツが足りない。
「なら、大局的に――マクロ視点で見たこの世界はどうなっているのか」
独り言が増えたと感じたのは、何も今に始まった事ではない。
この繰り返された一週間と言う怪奇現象が、僕の精神を徐々に犯しているのだと。そう悟るまでに時間はかからなかった。
話を戻そう。
この世界が終わりに向かって進んでいるのであれば、最終的に行きつく場所は何処だ。
アメリカの崩壊が進み、世界恐慌が始まって数年。そこからバランスが崩れた世界経済、物価高で苦しむ全世界の九割の人間がこの惨状を見て、何を思っているのだろう。
世界終末論者からすれば歓喜する内容だろう、しかし、空想科学が現実に及ぼす影響は計り知れない。考えて見て欲しい。世界など無くなってしまえばいいと極論付けている一方、自分がその窮地に置かれた場合、それらは一体何を考えるだろうか。
それが思想や、宗教的理念、先に出た世界終末論者迄。全てにおいて考える事は皆同じだ。
死にたくないと。
ただ一つ、ハッキリとしている事だけは分る。
この見上げた空は、確実に世界を侵食していく。何も日本だけで起きた物ではない、地表から見れば僕達の上空に現れたソレだが、宇宙から見れば地球に出来た異常現象なのだ。
ヒビは確実に広がっていく。
もしも仮に、全世界に――地球全体の空にヒビが入ったらどうなってしまうのだろう。
まさか空が落ちてくるか、そんな馬鹿げた妄想が僕の口角を上げた。
「幻想が現実になる、空想科学や絵空物語が今目の前で起きている」
その中心にいるのは、きっと僕だ。
世界に走るノイズ、二週目の一週間、ブレる世界。
その全てを、僕だけ観測している。
ならば、可能性の一つとして、この世界は僕が見ている夢なのではないか。
――いや、こんなに生々しい夢があってたまるか。
何時まで経っても覚めない夢に、実際に痛む体。
それらが「コレは現実だ」と語っている。現実逃避も甚だしい。
だが、それらの現象が僕を中心に起きているのであれば、それはボクが狂ってしまっている可能性が多いに高い。それ以外、今の手札からでは考える事が出来なかった。
「狂ってしまったのは、僕か世界か」
ならば、観測者を僕だと想定した場合、この世界で起きている事は僕の想像の中なのだろうか。いや、そんな事はない。今さっき否定したばかりだ。
気が付けば炎の勢いが弱まっている、側にある木材を手に取り燃料としてくべる。ゆっくりと燃える炎を見つめながら、徐々に燃え広がる様子を見て安堵する。
静寂の中に生まれる炎の産声と、自身の鼓動、呼吸音だけが耳に残る。
寒さは然程感じなかった。
燃える炎から放出される遠赤外線によって暖められた体と、午前中まで降り続いた雪によってある程度緩和されている。唯一顔だけが異常に温かった。
数ある可能性の中から現実的な物だけを引っ張り、一つ一つ起こりえるのだろうかと考え思考を纏める。無駄な行為だと分かっていても、思考を停止した瞬間、この静寂が僕の精神を汚染してくるようで怖かった。
考えるのをやめてはいけない、思考を停止してはいけない。その言葉が繰り返し脳裏をよぎり、存在しない誰かが警鐘を鳴らしている気がしてならなかった。
この自問自答が無駄なのかもしれない。
この時間が無駄なのかもしれない。
この瞬間、もしかしたら何か変わっているかもしれない。
だとすれば、何をすればいい?